寝言と虚言と本の話

読書記録のようなもの。バールのようなもの。

≪読書記録≫ 21.11月号

読んでいる途中の本があってもお構いなしに新しい本を開き、結果的に中盤あたりに栞が挟まった本が大量発生しがち。あるあるですよね(圧)。非常に良くない。非常に良くないのだけれども精神衛生的にはこれがベストな読み方だったりするわけです。昔ぱらぱらと捲ってみたが全然面白くなくて閉じた本、久しぶりにまた読み始めてみるとめっちゃ面白かったりするんですよね。これって作品が面白くなかったというより「今じゃなかった」ってことなんだと思うんです。(西加奈子の『サラバ!』が完全にそのパターンだった。)なので「今じゃねえな」と思った本はどれだけ読み進めていようとその段階で一回閉じてしまう。で、「読むなら今なんとちゃうの……」と唆してくる本たちを開いてみる。なんにせよ義務感に駆られた強迫観念的な行為は何であれ好きではないので、読み終えるべきとかどうとか考えずに気ままに読むという行為は、僕好みです。

 

そんなこんなで、(作品への思い入れは濃淡ありつつも)読み散らかした11月の読書記録です。

ちなみに今月のお気に入りは『感応グラン=ギニョル』と『インド夜想曲』です。

 

 

『7.5グラムの奇跡』砥上裕將

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7.5グラムの奇跡

『線は、僕を描く』の作者さんの第二作(読書記録の10月号参照)。主人公は不器用ながらまっすぐに人の瞳を見つめる見習い視能訓練士、野宮くん。
北見眼科の個性的なメンバーとともに様々な症状を抱えた患者さんと心を通わせ、互いに前に進もうとするお話。
読むとじんわり温かくなって読み終わった後しばらくはいつもより優しい気持ちになれる、そんな作品だった。じわっと涙が滲んでしまうシーンがあり、電車内で読んだのをちょっと後悔した。これはきっと野宮くんのフィルターを通して見る世界がとにかく真っ直ぐ素直で人を思いやる気持ちに溢れているからなのだろうと思う。本人の自己肯定感はものすごく低いのだけれど、彼がクールな広瀬先輩や快活な剛田看護師、鷹揚な北見先生との関わりの中で成長していく様子もなんだか胸が熱くなる。終始野宮くんの視点で語られているのに、なんだか彼に「よく頑張ってるよ君は」と言いたくなってしまう。(何様になったつもり??)でも実際、ここまで人に寄り添える人はそういないんじゃないかな。読んでいてだんだん野宮くんが好きになっていった。

収録作の中で1番印象に残っているのはカラコンのせいで網膜が危険な段階まで傷ついてしまっいた玉置さんの話だ。治療のためにはカラコンを外す必要がある。しかし彼女はとある理由でカラコンへの執着を手放しきれず…
というお話なのだが、僕はどうも自分の脚で歩けなくなってしまった人がもういちど歩き出す、みたいなのに弱い。
もっと一般化するなら、自分をまた肯定できるようになる話が好きだ。報われた、みたいな話もそう。
視能訓練士の業務内容なんてそう簡単にわかるものではないのでなかなかイメージが湧きにくいのかと思いきや、まったくそんなことはなかった。そこは作者の技量のようで、特に比喩というか情景との重ね合わせが面白い。GP法での検査が絶海の孤島を探すことに重ね合わされ、緑内障患者によく見られる虹のような現状に、別の意味を与えた。喜びも悲しみも喪失感も前に進もうとする勇気も…この作品の中では豊かに表現されているように思える。豊かな表現のおかげで感情の機微が効果的に表れていた。話の面白さに留まらない作者の技量を感じた。
うまく纏まらないので、素敵だと思ったワンフレーズを最後にメモしておこうと思う。

誰かの瞳の中に見ていた光は、僕の生き方を照らす光そのものだった。

 

言語学バーリ・トゥード Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』川添愛

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言語学バーリ・トゥード

「なんでもあり!言語学者が編む良質な駄文!」

キャッチコピーを付けるとしたらこんな感じだろうか。タイトルにがっつり「言語学」とついている一方でなにやらふざけた表紙・・・このアンバランス!上島竜兵言語学??これほどに異彩を放つ本が面白くないわけがない。そんな予感を感じ気が付けばレジに並んでいた。

簡単に概要を紹介すると、これは東京大学出版会が毎月発行している冊子『UP』(「ユーピー」と読むらしい)に掲載された言語学者川添愛さんの連載を書籍化したものである。言語学にまつわるアレコレを筆者が綴るのだが、さっそく本書冒頭でこんなことを述べている。

ただし、筆者の連載はどちらかというとイロモノ枠で、フルコースの途中で出てくる「お口直しのシャーベット」程度の位置づけである。

過度な一般化についての話や「草」が生まれた瞬間(?)など内容面での充実もさることながら、ジェネレーションギャップなどもろともせぬ小ネタ満載の軽妙な文体で饒舌に語るその語り口がこの本の一番の魅力だと思う。筆者がプロレス好きであろうことはこの表紙からも容易に察せられるが、まあご想像通りプロレスネタ、世代ネタてんこ盛りである。全く世代が違うせいで元ネタがわからないものがかなりあるが、わからなりにも思わずプッと吹き出してしまう愉快な文章でページをめくる手が止まらなかった。

かと思いきや、言語学の一部を垣間見ることができるような話題がポンと出てきてなかなか油断ならない。参考資料も脚注に載せてくれていたりするので、言語学方面(分野は偏るだろうが)の読書案内的な使い方もできるかもしれない。

とにかく、良質な駄文(褒めてます)と呼ぶにふさわしい一冊だった。

 

『「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし 京極夏彦講演集』

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「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし 京極夏彦講演集

姑獲鳥の夏』や『魍魎の匣』など、怪奇×ミステリの作品をつくりだした京極夏彦の脳内を覗き込めるのが、彼の講演をまとめて書籍化したこの本である。

これまで読んだ2作の影響で、京極夏彦には勝手に「魑魅魍魎系」のラベルを貼って認識していた。妖怪や民俗学的な怪奇現象などの伝承に造詣が深く、作者もかなりその系統に入れ込んでいるのだろう、と。そう思っていただけあって、講演集では作者の意外な側面が確認できた。まず、彼自身は幽霊が見えるわけでもないし、そもそもそんなことは信じていないとのことを断言する。しかしそれもそのはず、彼は水木しげると師弟のような関係にあり、水木が妖怪をアイコン化、キャラクター化した過程を知っていたのである。

水木しげるが戦争に召集されて、そのまま戦地の離島で終戦を迎える。そのときに未開の民族と過ごした野生的な生活に天国を疑似体験したこと、つまり疑似的に他界を経験したということが後の「妖怪」との関わりに影響を与えたのではないかという話も興味深かった。

また、妖怪として知られるものが元々は「不可解な現象そのもの」だったとの話も面白い。「砂かけ婆」は「誰もいないのに砂が降ってきた、不思議だ」という現象そのものだったという。人間は不条理なことに遭遇すると不安になるようで、それに新しい秩序を与えようとする。その一つの形が「妖怪」だというのだ。実際は竹垣か何かから砂が降ってきただけなのだとしても、「俺もそんな経験ある!」「そういえばあのとき、怪しいばあさんが周りにいたぞ(実際は偶然通りかかっただけかも)」となれば、じゃあそのばあさんの仕業だな。「砂かけ婆」だな、となる。いや流石に説明が雑すぎるが、細かい部分を端折るとこういうだろう。ともあれ、当然ながらインターネットもない時代、伝言ゲーム的に不可解な(といってもこれは「十分に説明ができない」程度のニュアンスだが)現象が「妖怪」になり、やがて「妖怪」はキャラクター的な性質を帯びていくというのは面白いと思った。どおりで妖怪の存在がつかみどころのない存在なわけである。

なるほど、深い前提知識あって初めて、曖昧模糊とした現象としての「魑魅魍魎」が効果的に不気味に描かれるのだと納得した。いたずらに安っぽい怖がらせ方に頼らないところに作者の技量が表れている。

京極堂シリーズの探偵兼陰陽師中禅寺秋彦のセリフにこんなものがある。

「日常と非日常は連続している。確かに日常から非日常を覗くと恐ろしく思えるし、逆に非日常から日常を覗くと馬鹿馬鹿しく思えたりする。しかしそれは別のものではない。同じものなのだ。

(中略)

いつ何が起ころうと当たり前だし、何も起きなくても当たり前だ。なるようになっているだけだ。この世に不思議なことなど何もないのだ」

 

ー『姑獲鳥の夏』p612より

これは「不思議なものなどない、ただ単に現段階では説明ができない事象が存在するだけ」という、京極夏彦の意外にも現実主義的な「妖怪」観を色濃く反映したものなのだと今更ながら気が付いた。

 

目白台サイドキック 女神の手は白い/魔女の吐息は紅い』太田忠司

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目白台サイドキック シリーズ

みんな大好きバディものである。なんとなく『キネマ探偵カレイドミステリー』シリーズを連想した。(個人的には『カレイド~』の方が好きだが)

不可解な殺人事件に謎のメッセージに名探偵は例のごとく変人。ある意味その手お約束を律儀に守ったよくある設定ではあるものの、『魍魎の匣』という超ヘビー級のミステリに食傷気味だったので、ミステリというよりはキャラものに近い今作をこのタイミングで読めて良かった。

ライトな読み口、スピーディな展開、魅力的なキャラ。そのあたりがこの作品の魅力だと思う。(まあ人によっては物足りないと思うこともありそうだがその辺は好みの範疇かな。)ド偏見丸出しで申し訳ないが、ジャニーズ所属の俳優さんが主演でドラマ化される感じの雰囲気がある。なんというか、ポップで親しみやすい感じ(伝われ)

結構なトンデモ設定なんかもあってびっくりするのだが、その辺はエンタメにつきものなのでむしろ「んなアホな」とかニヤけながら読んでいた。

伏線も結構わかりやすく張られていて(伏線というよりもう仄めかしに近いほどわかりやすいのもあった)、推理についてはだいぶ初心者向けかもしれない。ただあくまでメインは推理合戦ではなく、キャラたちが繰り広げる活躍劇のようだ。

さて、キャラクターについてだが、代々受け継いだ立派な洋館に住む青年、北小路とそこに居候している(正確には食客だそうだが)刑事、南塚。南塚の傍若無人っぷりに振り回され続ける、同じく刑事の無藤の視点で物語は描かれる。

名探偵の人物造形というのはどうしてもシャーロック・ホームズの影響を受けずにはいられないのかもしれない。頭の回転がめっぽう速いのが名探偵らしいのは当然として、南塚は、タバコをバカスカ吸いまくる(ホームズはたしかヘロインをやっていたはず)、意外な芸術的才能を持っている(南塚は詩作、ホームズはバイオリンの演奏)などなど「名探偵の属性」とも呼べそうな共通点が見つかった。他作品でも「名探偵の属性」、結構あったりして。

下調べもなしにパッと目について買ってみただけなので、太田忠司の作品は初めて読んだが、今調べてみると結構色々出版されているらしい。次はライトな「おやつ」ではなくしっかり「晩御飯」みたいな作品も読んでみたくなった。

 

『快楽主義の哲学』澁澤龍彦

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快楽主義の哲学

つい最近、藤井大丸の地下で催されていた古本市に行ってきた。その際に、名前こそ知っていたがなかなか作品自体に触れる機会はなかった古い作家さんの本を見つけた。澁澤龍彦である。「サディズム」の言葉の由来となったマルキ・ド・サドの著作を日本に紹介する傍ら、幻想文学と位置付けられるジャンルの作品を遺した作家として知られているようだ。古本市で買ったのも『幻想文学集成』の澁澤の巻だった。

さて、そんな彼の著作である『快楽主義の哲学』だが、他の作品や論評とはかなり趣向を異にしているような印象だった。

哲学の入門書でもなければ、自己啓発本でもない。いや、どちらかといえば後者に近い部分がある感じする。どちらにせよ、「快楽を貪欲に追及せよ。受動的な「幸福」なんてつまらんじゃないか」というのがこの本の主旨だった。語り口もかなりセンセーショナルで扇動的。今では絶対に通用しないなと思う表現も多く、女性の読者を全く想定していないどころか同性愛などあからさまに不道徳なものとして書かれていた。(1965年頃に単行本として出版されたことを考えると仕方ないのかもしれない)

ともあれ、しっかり筋の通ったことを言っているのかと思えばめちゃくちゃだったり、めちゃくちゃだと思って読んでいるうちになるほどと納得させるような部分を見つけたり、ふらりふらりと文章自体が酒に酔っているような不思議な愉快さがある。

そういう意味では三島由紀夫の『不道徳教育講座』っぽいところもあるかもしれない。なんとなく、物知りで愉快だが偏屈な世捨て人のおっちゃんに酒の場で絡まれているような感覚になった。話自体は面白いし、古今東西様々な書物からの引用を交えつつ話を展開する頭の良さにも感服する。でも大真面目に話を聞いちゃいけない。のらりくらりと展開される話にしれっと詭弁パートがはいっていたりするからである。人生論的な話から始まり、途中「性の快楽」にも話題は広がる。こう言ってみると、おじさんの自分語りっぽさが浮き彫りになるような気が……

快楽を殊更に勧める本なだけあって、かなり好き勝手に書かれている印象。カールブッセの『山のあなた』を引用しては「この詩は大嫌い」だと切り捨て、『雨ニモ負ケズ』を引用しては「ずいぶん、みじめったらしい詩です」とこき下ろす。それで以ってもっと貪欲に快楽を求めて生きよと説く。過激に、魅力的に、快楽を求めてみろと囁く。これは色んな意味で「危険な本」だと思った。

 

『感応グラン=ギニョル』空木春宵

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感応グラン=ギニョル

五感をフルで揺さぶる贅沢なSF短編集だった。表題作『感応グラン=ギニョル』は昭和前期風の怪奇譚SFといった感じ。いや、それに収まらないような気もする。どこかに欠けた部分を持つ少女たちを集めた劇団。鼻が、四肢が、聴覚があるいは視覚が…

その劇団にある日、「こころ」を持たない少女が入団する。というところから始まるお話。彼女には他人の過去を追体験する能力がある。当然それに痛みが伴うこともあり、文章を読むという行為を行っているだけのはずなのに生々しく感覚がこちらに飛び移ってくるような没入体験ができた。ストーリー自体も誰の視点から描かれているのかわからない断章がモザイク状に組み込まれているという構造の効果もあり、段々と自他の「境目」の感覚が消えていく感覚になるのが面白い。読書体験として久々に衝撃的なものに出会えた。

短編集なのでいろいろなテイストの話に出会えるのがまた嬉しい。個人的に一番のお気に入りは『メタモルフォシスの龍』。「恋に破れた人間は男なら半蛙、女なら半蛇になってしまう」という世界のお話。話を読み進めるにつれ、全体像がつかめるようになっていくという一種ミステリ的な楽しみ方もできるし仕掛けとして楽しいというのが一つ。しかし仕掛けに偏向して中身がおろそかになっているわけではない。これは主人公が自分の道を自分の選択で進んでいく物語なのだと思う。憧れの人へのときめくような羨望と自分を認められない気持ち、それらが少女特有のものだなんて僕には思えない。そういう意味で主人公の感情の機微が丁寧で良かった。ハッピーエンドかどうかはわからないしむしろそんなことは問題ではない。自分の「足」で歩き出した主人公の姿が印象的だった。読んだ後の余韻が好きだった。

SF小説は大抵読み始めがしんどい。自分のなじみのない世界にぽんと投げ出されるようなものだから。しかし段々とその世界の構造を理解していくうちにある瞬間、ふっと意識が物語の中に吸い寄せられる瞬間がある。その瞬間が好きだなと思う。

衝撃的でありながら、衝撃にかまけることのないストーリーの魅力。きっと何度も読み返すことになる一冊。

『ハーモニー』伊藤計劃

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ハーモニー

夭逝した作家に魅力を感じるのは何故だろう。なんというか、尾崎豊的なカリスマ性を否が応にも帯びるからなのだろうか。そんなことを思いながら、読もう読もうと思いつつなかなか手が出せていなかった伊藤計劃の作品に初めて触れた。『虐殺器官』か『ハーモニー』どちらから読むかは数ページぱらぱらめくってより興味を引いた方ということで決めた。この作品、記述方法からして異様だ。webページなどを作成するのに使用されるHTMLのような架空のマークアップ言語、etmlを用いて記述されている。一人称の語りの中に〈list〉とか〈dictionary〉とかいうタグが散りばめられる。のみならず、〈fear〉など、敢えて感情を限定するタグまで挿入されている。この構造にも物語の終盤で必然性が与えられているのがわかるように、作者はどうやらかなり計算高く作品を創作しているようだ。

この作品は究極的には「意識は存在しないが完全に調和のとれた世界」と「意識が存在し、衝突や犠牲が絶えない不調和な世界」とどちらが理想的か、との問いを突き付ける。意識が、意思が存在しない生などにどんな価値があるのか。そう思いつつも「完全に調和のとれた世界」を強く否定することは僕にはできない。これは自殺の問題に似ていると思う。自死を選ぶということは意識のない世界へと飛び込むことを意味する。そこに苦しみはないが喜びもない。何もない。しかしそこには「完全な無」という一種の調和がとれた世界が存在する。今はたまたま生の世界に存在するから生を絶対視しているけれど、もし相対的な価値を持つそれらの二者択一をこの場で迫られたら、僕は生を選べるだろうか。自信はない。だから、この作品の結末には歯がゆさを覚える。さて、僕がこの作中世界に生きていたなら、主人公のような態度を取れただろうか。考え出すときりがない。

 

『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』麻耶雄嵩

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翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件

メルカトル鮎&木更津悠也シリーズの第一作。『夏と冬の奏鳴曲』の衝撃が忘れられず手に取った。こっちの方が好き!サブタイトルが「メルカトル鮎最後の事件」なので彼がどうなるかはなんとなく察しがついていましたが、まさか本当に「やって」しまうとは。だって探偵役ですよ。相変わらず派手に演出される連続殺人とわけありの家系。名探偵の推理が必ずしも当たるとは限らないスリル。この人の「前科」を知っているだけに(前後関係は一旦無視しています)、何が来てもおかしくないぞと身構えて読んだがそれでもこの仕掛けは予想がつかなかった。いや、真相を推理するのは無理。恐ろしく突飛な真相に見えて筋が通っている。

詳しく書くとネタバレになってしまうので控えるが、「こういう構造」は僕の興味どストライクです。メルカトル鮎はただただ不憫な気もするし、さもありなんという気もする。

『痾』麻耶雄嵩

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メルカトル鮎シリーズと言っていいのかこれは。『夏と冬の奏鳴曲』の正式な続編。和音島での事件を通してその時期の記憶をすっかりなくしてしまった如月烏有が記憶を取り戻すため衝動的な放火を繰り返す。しかし、放火現場には覚えのない刺殺体が毎回残されているらしいことをニュースで知る。果たして真相は……?みたいなお話。

読み味がものすごく悪い。読者の方は主人公が失っている前作の記憶を保持している立場で読むことになるので、もどかしさというか「あぁーあ…」の感情を抱えつつ読むことになる。あとどう考えても放火魔に共感などできないので、いまいちどんな気持ちで読めば良いのかわからないという部分がある。

この物語、誰が救われたのかと考えるとかなり気持ちが沈む。もう『夏と冬の奏鳴曲』が始まった時点で勝者のいない物語であることは決定していたのかもしれない。ああ、気が重い。

『メルカトル悪人狩り麻耶雄嵩

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メルカトル悪人狩り

性懲りもなくメルカトル鮎シリーズ。今回は今年講談社ノベルスから出た短編集。『痾』と違って変に重くないので丁度良い。うんうん、このぐらいが良いよ。メルカトル本人も作中で「残念ながら私は長篇には向かない探偵なんだよ」と言っていることだし。傲岸不遜な態度がムカつく「銘探偵」だが、万事がこいつの掌で踊らされているだけではないのかと勘繰りたくなるようなラストが各編に据えられていて恐ろしい。『メルカトル式捜査法』ではメルのミス(としか思えない行動)がことごとく犯人推定に役立ってしまうことから、「もう全部こいつが仕組んだアリバイ崩しなんじゃないか」と疑うしかない。他の作品ならあまりにもご都合主義が過ぎるのではないかと突っ込みたくなるところだが、麻耶雄嵩でしょ?メルカトル鮎でしょ?となった瞬間に許容できてしまうどころか「らしさ」まで感じてしまう。もうこれは彼ら(麻耶雄嵩メルカトル鮎)に毒されている証拠だと思う。

『噛み合わない会話と、ある過去について』辻村深月

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噛み合わない会話と、ある過去について

これ一気に全部の短編を読めない。休憩をはさみながらじゃないと無理。だってあまりにもヘビーなのだもの。流れてくる感情が、ぶつけられる感情があまりにも大きい。感情の濁流が次々にページをめくらせる。

過去のことについて、それも美化されてすっかり形を変えてしまった過去のことについて、自分は本当に人を傷つけていないと言い切れるか。いや、傷つけるようなことをしたと潜在的にはわかっていながらも自己保身のために自分のなかで正当化していないか。だって仕方がないじゃないか、とその部分を完全に棚に上げたのち、「あのころは楽しかった」と嘯いていないか。僕はこれを読んですっかり自信がなくなってしまった。というか、考え出したらキリがないと思った。そう思って、蓋をしようとした瞬間ハッとする。これがしまわれたとき、冷凍された感情は本当に元の感情として取り出せるのだろうか、と。冷凍保存してしまったが故に変質するかもしれないその瞬間を見た気がした。怖い。自分を傷つけた人たちが記憶を美化して幸せに生きているのを糾弾したい感情に駆られるようで。逆に、昔傷つけたかもしれない人たちに自分が糾弾されやしないか、と。

こんなに切迫した感情を沸かせた責任は誰に問えば良いですか。辻村深月さんでしょうか。でも多分、今後もきっとこの人の本を読みたくなる。なぜでしょう。わからん。

『魔術師』江戸川乱歩

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魔術師

綾辻行人有栖川有栖の対談のテーマが今作だということで、せっかくなのでこの機会に読んでみた。考えてみれば乱歩の長編は児童向けのものを含めても初めて読んだ。小学校時代、図書室でやたら不穏でレトロな表紙の乱歩作品(どれだったかはあまり覚えていない)を借りたはいいものの、10ページと読まずにそのまま返してしまった覚えがあるので、『魔術師』を面白く読めたことに驚いた。あんなに面白くなかったのに…

やっぱりタイミングだなと痛感した。今なら本格と言われるミステリをいくつか読んだりしてミステリ小説ってこんな感じ、というのをおぼろげながら掴めるようになったので、比較しながら読む楽しみもできて楽しかった。

雑誌連載の作品だったらしく全体的にバタバタしていて展開が多い。また、殺人現場に残る巨大な手形や生首を小舟に浮かべて隅田川に流す「獄門舟」、魔術師による人体解体ショーなど、ド派手な演出もてんこ盛りで読んでいて飽きない。

乱歩といえば硬派な純粋推理小説、というイメージを勝手に抱いていたのもあって、ここまで通俗的で娯楽的な作品を書くとは知らなかった。意外な一面を見て、少し乱歩に親しみが沸いた。

これまで乱歩に触れていない分を取り戻すように、今後ちょいちょいとつまんでみたいと思う。

『スモールワールズ』一穂ミチ

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スモールワールズ

タイトル&表紙のほんわか感とのギャップがすごい。6つの独立したお話からなる短編集なのだが、一作目の『ネオンテトラ』から怖いよ!もっと穏やかに話を進める方向もあったのに後半になって一気に不穏になる。くすぶらせた感情が刃物のように冷たく光っている、そんな怖さがある。新手の怪談かと思った。また、六篇ある中で恐ろしい結末を迎えるのがこれだけじゃないのもまた怖いんですが…

などと言いつつ、全部面白いのがすごい。美味しいお菓子の詰め合わせ(ただし激辛わさび入りが混じっています)みたいな感覚。いわば、「ロシアン菓子折り」か。わさび入りの個数は読んで確かめられたし、みたいな。

これは自分なりの解釈になるが、これらの作品からは日常に起こりうる「ままならなさ」をテーマとして読み取ることができるのではないかと思う。身近に降りかかりうる「ままならなさ」だからこそ身に迫るような切迫感が物語に生まれる。そして物語内にぐっと引き込まれた後でえげつない展開に持っていくのだから恐ろしい。

僕のお気に入りは『魔王の帰還』。ままならない現実を抱えながら、それにどう立ち向かっていくか。登場人物がそれぞれの地獄を抱えながらも最後にはどこか晴れやかな気持ちになれるのが好きなポイント。(この書き方でわかるように『魔王の帰還』にわさびは入っていないので安心してください(?))

長編はしんどいので短編を読みたい、と言っている人に勧めて、短編でも十分しんどくなれることを体験してほしくなった。

 

『インド夜想曲』アントニオ・ダブッキ(訳:須賀敦子

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インド夜想曲

タイトルどころか作者の名前すら全く知らない本を手に取るときにはわくわくする。と同時に駄作を掴まされやしないかとの不安も少々。それでも手に取ったのは、意味深げなエピグラフと著者の「はじめに」の書き出しのせいだと思う。

夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。

彼らは何をするのか。夜を現存させているのだ。

 

モリス・ブランショ

これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である。不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。

―――「はじめに」より

イタリアの作家が書いたインド紀行の物語?そう思いながら読んでいると、どうやら主人公は失踪したというある男を探しているらしいとわかる。男の足跡を辿るようにボンベイマドラス、ゴアを巡る12夜が描かれる。

うまく言葉で表現できないのがもどかしいが、作品全体を覆う雰囲気は他では見られないほどに独特。派手な事件が起きるでもなく、ただ「彼」を探す過程で知り合った人々との会話をするだけ。それも噛み合っているとは言えず、会話自体がふわふわと空間に漂っているみたいに見える。時間は決まって太陽が沈むころ、もしくは沈んだ後で暗いといえば暗いし落ち着いているといえば落ち着いている。人々との出会いと別れを繰り返していくがそれが伏線となることもなく、ただ過ぎ去っていくものとして描かれるのも紀行っぽい。これまでロジカルな解決と伏線の回収のカタルシスを求めてミステリを読んでいたことを思うと、成分が違いすぎて面白い。初めのうちは村上春樹っぽい感覚に似ているようにも思ったがそれとも違う。インドのエキゾチックさを殊更に強調することなしにインドの空気感とか活力とかそういったものを描き出す描写の力も手伝って、夢の中のような浮遊感を持たせながらもリアルが担保されている。そう、いわば「妙にリアルな夢を見ているような感じ」なのかもしれない。

こういうのすごく好きだなと思う。読み終えた後にも脳内に残った柔らかな「?」が脳壁にバウンドするようで気持ち悪くも心地よくもある。理屈づけは後でいいや、と思わせる力があるというか。

妙に気になる夢を見たその後、続きを見たいがために惰眠を貪るように、またこの本を開いてみるときがきっとあるだろうと思う。

 

【その他11月読了作品】

  • 『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想』
  • 『原因において自由な物語』五十嵐律人

 

〈余白に代えて〉

今回書いた感想をざっと流し読みしてみると、面白いくらいその本の影響を受けているのがわかる。仲の良い友人の口癖が移るみたいなのと少し似ているかもしれない。

今年も残りわずか。気ままに読んで、存分に作品に感化された感想を書き散らしていきたい。

わざわざ覗きに来てくださりありがとうございます。恥文工場内見学ツアー(11月)はこれでおしまいです。