≪読書記録≫ 21.10月号
読んだは良いものの、面白かったという印象以上のものが残らないことが度々ある。これはあまりにも悲しい。その本を読んだ時には確かに感じたことや楽しんだことがあったはずで、それを素通りするのは勿体ないかも。そんなこんなで簡単なメモ程度の記録を付けてみることにした。レビューとかじゃないです。感想メモです。☆つけて評価、みたいなことをするために読んでいるのではないので。
他人の本棚でも眺めるような気持ちで覗きに来てくれたら嬉しいです。
書影とタイトルしか載っていないのはただいま作業中の部分です。随時更新。
バイト先の書店でPOPを制作中なのですが、いまいち要領が掴めず苦労しています。その練習と言っては何ですが、読みながらその作品を端的に表すキャッチコピーみたいなものを考えたりして遊んでいます。結構楽しいよ。
ということで、読書記録10月号です。
※11月の分量にかなり厚みが出たので結局分けました。(11月26日追記)
〈10月号〉
『扉は閉ざされたまま』石持浅海
本の紹介を見て手に取った。
大抵の推理小説で、不自然なほど部屋から出てこない人物がいたら誰かがドアを蹴破り突入し、その何某は死体となって発見される、というのがお決まりの流れである。しかし今作では「扉は閉ざされたまま」なのだ。時間がたっぷり経過しても、まさか死んでいるとは思わない。先ほど飲んだ睡眠薬が効いているのかもしれないとか、ドアを破ろうにも今では替えの見つからない素材だからなかなか踏ん切りがつかない、とか様々な障壁が立ちはだかるため、「扉は閉ざされたまま」なのだ。
しかもそれ、犯人が計画的に仕組んだことである。物語はそんな高い思考力をもつ犯人=伏見亮輔の目線で描かれる。所謂倒叙ミステリと言われるジャンルである。ひっそりと犯行を終えた彼は思う、「密室殺人、完了」と。
大学のサークルの中でも仲が良かった数名で開いた同窓会が犯行の舞台。伏見は客室で事故を装い後輩の新山を殺害。さらに密室状態を演出した。完全犯罪に思われた彼の犯行だったが、思わぬところから綻び始める。彼と同じく優秀な頭脳を持つ碓氷優佳の存在である。疑問を抱き、殺人である可能性を見出した優佳と伏見と頭脳戦が繰り広げられる。
犯人視点で描かれるだけあって、いつ暴き出されるのだろうというドキドキ感が味わえる。じわじわと追いつめられる感覚。これは倒叙ものに特有の楽しみ方だと思う。推理という点では、犯行に至る動機については最後の数ページまで明かされない。それを推理するのも面白かった。当てられなかったが、再読してみると伏線が見つかったのでそういう意味ではフェアに設定されているようだ。
彼らの議論そのものにもその行く末にも、ぎゅっと旨味が詰まったような一作だった。
『法廷遊戯』五十嵐律人
段々と引き込まれて行って、結局夜っ曳いて読みふけってしまった。
ー罪びとに対する制裁か、あるいは、無辜に対する救済かー
この一文にすべてが込められているようにも思える。
とある底辺ロースクールで行われていた無辜ゲームと主人公たちが過去に犯した罪。そして無辜ゲームの審判員を務めていた圧倒的エリートの結城馨が模擬法廷で殺害される、というあらすじ。(実際にはもう少し入り組んでいるのだけれども。)
所謂リーガルミステリーと分類される作品で、法律の用語がバンバン本文に登場する。それもそのはず、この作品の作者は司法修習生なのだそうで…。
とはいえ、タイトルから想像したよりも展開はスピーディでドラマティック。法律の知識が十分になくても楽しめた。登場人物同士の関係性も美しい。人物たちそれぞれに罪と罰への向き合い方があり、それらが相容れないものだったとしてもその道を行くしかないのか。罪と罰、そして司法の仕組みそのものへ刃を突き立てた結城の心中はどんなものだっただろう。考える価値のある、しかも重たいテーマを選びながらも重たくなりすぎないのは不思議なところ。何よりも僕は結城のような天才が非常に好きです。
二時間ドラマを見ているかのような臨場感を味わわせてもらった。
五十嵐律人、『原因において自由な物語』も気になっているので近々チェックしたい。
『親愛なるあなたへ』カンザキイオリ
前半は青春小説。後半はサスペンス。一冊で二度おいしい、みたいな作品だった。
物語は中学生で作家デビューした少年ハルと、義姉と2人で暮らす雪の2人の高校生の視点で交互に描かれる。前半のストーリーはまさに青春そのもの、甘酸っぱく読んでいるこちらがちょっと照れてしまうような場面も描かれる。特にハルの元に現れる穂花とのシーンが良すぎた。彼女の人物描写があまりにも良かった(詳しくは言わないが)。まあそれはいいとして。この作品のテーマに「好きなものを好きだと言うこと」がある。これが刺さった。好きなものを好きだとなかなか言えないハルも穂花や結城のおかげで段々と成長していく、まさに青春の一ページだと思った。しかし。
後半、2人の語りが交差するシーン。思わぬ仕掛けがされていたことに気づき、度肝を抜かれた。当然、2人ともが高校生しかも同じ高校なのだと思いきや…である。
LIVEの後のあのシーン。ハルに思いが届いた雪が努力が報われる瞬間だ、と涙ぐみかけたそのとき、ハルの罵倒。衝撃が二重で来た。そんなに残酷なことがあっても良いのかと思った。と同時に何がこんなにも激しい彼の怒りを導いたのか、強烈に興味を抱いた。
ここで青春小説『親愛なるあなたへ』が終わった気がする。同時にサスペンス『親愛なるあなたへ』が始まった。そんな感覚があった。ページをめくらせる、その引力がカチリとスイッチしたように思った。
そこから話は物騒な展開になってくる。過去の出来事、愛する者を守りたいという思いが起こしたすれ違いのような悲劇でリンクした二つの物語が読んでいて苦しかった。
全編を通じて感情が激しく渦巻くのがわかる。ぐいぐい読み進んだ。面白かった。
『タルト・タタンの夢』・『ヴァン・ショーをあなたに』近藤史恵
街の小さなフランス料理屋さん、ビストロ〈パ・マル〉を舞台に、普段は無口な三船シェフが些細な謎を解き明かしていく、というお話。(ちょっと端折りすぎたかも)
所謂「日常の謎」というジャンルで、別に人が死んだりするわけではない。その点で人が死ぬのは嫌だけど謎解き要素は欲しい!みたいな人にお勧めしたい。
この作品、出てくる料理がことごとく美味しそうに描写されていて、フランス料理になじみのない僕でもフランス料理好きになってしまうほどの魅力を備えている。これは恐ろしい。寝る前なんかに読んではいけない。絶対にお腹が鳴ってしまうから。
もちろんストーリーも面白い。連作短編の形式を取っていて、一作一作はサクッと読める。謎があってそれを暴いてしまう以上、ちょっぴり辛い話もあるのだけれど、読後感が心地よい。三船シェフが出してくれるヴァン・ショー(というホットワイン)のように包み込むような優しさがふわっと広がるような、そんな感覚になる。
そういえば実写化もしているらしい。西島秀俊主演、「シェフは名探偵」のタイトルでドラマを放送していたみたい。三船シェフ役にしては小綺麗な気が……。この辺の意味も読めばわかるはず。
フランス料理が食べたくなる作品でした。
『線は、僕を描く』砥上裕將
まずタイトル。「僕は、線を描く」ではなく「線は、僕を描く」であるところが上手いと思った。ぼんやりと自分というものがわからなくなっていた主人公が水墨画を描き、その真髄に迫っていく中でだんだんと自分の輪郭を描き出していく。その美しさや力強さが十二分に表現された、肯定的なタイトルだと思った。
(確かこれは出版されるときに『黒白の花蕾』から改題されてこうなったそうだが、こちらはこちらで魅力的)
ある日両親を交通事故で亡くした主人公は、それ以来喪失感を引きずって生きていた。そんな彼がひょんなことから水墨の巨匠に見初められ、弟子入りすることになる。(この辺は如何にもご都合主義的な展開だがその辺はまあ置いておくとして。) 主人公の姉弟子であり巨匠の孫、千暎の他、個性豊かな兄弟子(いずれもド級のプロ)に水墨の手解きを受ける中で、彼が見出したものとは……?というお話。
この作品の1番の魅力はなんといっても描写の美しさ、丁寧さだと思う。主人公の視点から見る水墨の世界が驚くほど豊饒で、5感をフルに研ぎ澄ませた繊細さをもって描かれる。墨の匂いが立つ様子にリアリティを感じるとともにこんなに「生きた」描写がありうるのかと感動した。
ストーリーも面白い。というか単純にストライクゾーンど真ん中だった。 失意に暮れる主人公が立ち直るまでのお話。直向きな努力が報われるお話。自分の存在そのものを肯定できるようになるお話。そういうのが好き。
高校生のときに読みたかったな、とちょっと思った。最後に青山くんと師匠との「まじめ」についての印象的なやり取りをメモしておこうと思う。これにはハッとさせられる。
「まじめというのは、よくないことですか?」と訊ねた。湖山先生はおもしろい冗談を聞いたときのように笑った。「いや、まじめというのはね、悪くないけれど、少なくとも自然じゃない。」
『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩
ミステリの顔をしたアンチ・ミステリ??
ページ数にして700ページ超の大作。(上下巻分けろよ)
20年前、若者たちは「間宮和音」なる人物を精神的支柱として孤島で奇妙な共同生活を送っていた。しかしあることをきっかけにその試みは失敗に終わってしまったという…。そして20年ぶりに彼らは「和音島」と呼ばれるその島で同窓会をしようと集まる。当時の若者たちの他にも、小さな雑誌のほんわか記事の取材のために青年、烏有(うゆう)とそのアシスタント的な高校生、桐璃(とうり)が乗り込む。しかしそんな彼らにも暗い過去があり……
そんな中、絶海の孤島でその島の管理人と思しき首無し死体が発見される。カルト的性質がちらつく彼らの共同生活の本来の目的は何だったのか。猟奇的殺人はなぜ、どのようになされたのか‥‥謎が謎を呼ぶ本格ミステリ!
というのがあらすじだといいたいところだが、この作品がミステリなのかどうかには疑問が残る。解決編があまりにも短いのだ。物語は部分的に明らかになりつつも大切なところは藪の中に隠れたままの状態で最終ページを迎える。最後の最後に登場する”銘”探偵、メルカトル鮎は謎めいた一言を放ち物語は幕を閉じる。
一言でズバリと解決してもらうことを勝手に期待していた僕は、謎が謎のまま終わる状況に只々困惑した。裸で太平洋のど真ん中に投げ出されたような心許なさを感じた。(太平洋にど真ん中があるとして、の話だが。)ヒントはすべてこの文章の中にある。あとはお前の推理力の問題だ。真実はいつも一つ!!!と言われているような気がした。しばらく自分なりに考えたが、自分の中に名探偵は住んでいなかったらしく、早々に諦めて考察サイトへ飛んだ。どうやら解釈が分かれていたようだが、それが事実ならなんて惨い話なのか、軽くショックを受けた。考察まで込みで初めてフルで楽しめるという点ではTV版の某ゲリオンみたいだなと思わなくもない。すっきりしないのは事実だが、アレコレ色々考えることができる話、僕は嫌いじゃないなと思った。実際、麻耶雄嵩の他の作品も気になりだしている。
ただ、軽い気持ちで読んではいけない。そしてあいつに、銘探偵メルカトル鮎に期待しすぎてはいけない。僕は忠告しましたからね。
『魍魎の匣』京極夏彦
京極堂シリーズ第2弾
『夏と冬の~』に続き、こちらも大作。こちらは1000ページ超。もうこれ自体が箱(匣)みたいに見えてくる。もしや、それも狙いのうちだったりして?
さて、今作『魍魎の匣』は京極夏彦のデビュー作である『姑獲鳥の夏』の続編であり、後に京極堂シリーズとか百鬼夜行シリーズとか呼ばれるシリーズの第2作にあたる。
シリーズものと侮るなかれといわんばかりのボリュームに、読んでも読んでも永遠に読み終わらないかのような錯覚を覚えたが、それは決して面白くなかったからではない。これを読んでいると妖怪だか魍魎だか知らんがなにかに化かされているような気持ちになるのだ。
というのも、このお話の探偵役、古書店の店主であり偏屈な理屈屋である一方で陰陽師じみたことをしている人物なのである。いつもなにやら小難しい本を小脇に抱えており、幅広く深い知識を蓄えている。こと民俗学や化け物、妖怪、魑魅魍魎、宗教などにも精通しているその道のプロフェッショナルなのだ。
科学や理論を重視する探偵、科学の外に追いやられた部分を重視する陰陽師。それら両方の顔を備えた「京極堂」こと中禅寺秋彦が謎を解き、憑き物を落とすまでのお話が本シリーズの骨子である。
連続バラバラ死体事件と、「魍魎を筥の中に封印する」ことで信者から財産を巻き上げているという怪しげな「御筥さま」信仰、密室から消えた重症の少女、不死を研究するマッドサイエンティストに、幻想小説と現実の奇妙な符合……
読めば読むほど憑りつかれていくような感覚に溺れていった。
すべての謎が明かされたとき(こっちはちゃんと明かされました、よかった)「良かった、こちら側にとどまれて…」と思うはず。
それにしても作者はかなり研究熱心だと思う。これはかなり調べないと書けない。冒頭は古文・漢文の引用だし。彼の講演集も今読んでいるところなのでじきに感想を書く予定。
足元のコンクリートがどろどろと溶けて飲み込まれていく。そんな、確かな現実が揺らぐような読書体験になった。きっと次作も読んでしまう。
【その他10月読了作品】
※余力があれば、もしくは余力などなくても書きたくなれば順次追加していく予定。
- 『アリス殺し』『クララ殺し』小林泰三
- 『ブギーポップは笑わない』上遠野浩平
- 『その可能性は既に考えた』井上真偽
- 『廃遊園地の殺人』斜線堂有紀
- 『死体埋め部の悔恨と青春』『死体埋め部の回想と再興』斜線堂有紀
- 『叙述トリック短編集』似鳥鶏
- 『時空犯』潮谷験
- 『ルビンの壺が割れた』宿野かほる
- 『元彼の遺言状』新川帆立
- 『不可逆少年』五十嵐律人
〈余白に代えて〉
現実逃避をするように本を読むことがある。ふとした瞬間に、自分は空っぽでつまらない人間なんじゃないかと思うことがある。他人との比較など無意味なのは百も承知なのだがなぜかそんな虚無感が振り払えない。
そんなとき、僕は本の世界に一度逃げ込むことにしている。思いっきりエンタメ作品を読むこともあれば、敢えて重っ苦しい話でどん底まで沈むこともある。ふわっと優しく温かいお話で癒されることもあれば、痛快に勧善懲悪することもある。
いっそ自分だけの世界に入ってしまうことそれ自体が、自分の内側にぐっと潜りこみがちなところをとどまらせてくれているというのは、どこか逆説的で面白いと思う。物語に元気づけられることももちろんあるが、どちらかといえば「本が(あるいは物語が)存在する」という事実そのものに救われることの方が多い。普段は単なる娯楽として読書をするが、救いを求めているとき、本の存在は僕にとってちょっぴり特別になる。
無難な逃げ口上だと捉えられがちな「趣味は読書です」というフレーズだが、物語の存在を拠り所にしている分、切実な重みをもって口にできるような気がしている。